京極れきし再発見 76

  お江の義理の姉・鶴姫の波乱の生涯

  

   



 本満寺の本堂の左側に、緑色の石で作られた小さなお堂(石廟)があります。これは 鶴姫(蓮乗院)のお墓です。鶴姫は、波乱の生涯を送った安土桃山時代の女性で、お 江の方(現在のNHK大河ドラマの主人公)の義理の姉に当たります。

 鶴姫は、常陸(茨城県)の戦国武将・江戸重通の娘として生まれました。しかし、江戸 重通は、豊臣秀吉に従わなかったことから領地を取り上げられ、妻(鶴姫の母)の兄で ある結城晴朝のもとに逃れます。結城晴朝は、小さな大名でしたが、北関東では名家 として一目置かれていました。晴朝が秀吉に養子の紹介を願い出たところ、薦められ たのが、羽柴秀康でした。秀康は、徳川家康の次男で、当時は秀吉の養子となってい ました。そこで、まず親戚である鶴姫が結城家の養女となり、そのムコ養子として秀康 が迎えられました。

 養子となった結城秀康は、関ヶ原の戦いで重要な役割を果たして、越前国(福井県) を与えられます(後の越前松平家)。こうして鶴姫は、福井藩六十七万石の奥方となり ました。また、秀康の弟が後の二代将軍徳川秀忠(妻はお江の方)であすから、鶴姫 はその兄嫁に当たります。

 結城秀康が34才で若死にした後、鶴姫は京都の貴族・烏丸光広と再婚します。烏丸 光広は、和歌や書に優れた、当時の一流の文化人です。鶴姫は、晩年には、結城家 を継いだ子の直基(秀康五男、実母は鶴姫の侍女)と暮らし、福井で亡くなります(45 才ぐらい)。お墓は烏丸家に縁のお寺・法泉院がある本満寺に作られました。

 お墓の石廟は、以前は墓地で半壊していましたが、2005年に修復され、本堂の横 に移されました。石廟の外観は質素ですが、その内部は仏像が彫り出されていて、た いへん立派なものです。

2011年2月