江戸時代のはじめ、桝形通の一体には立本寺(りゅうほんじ)という大きなお寺があり
ました。お寺は北野に移転しましたが、今も立本寺前町の町名が残っています。今回
は、この立本寺がまだ出町にあったころの話しです。
出町柳の辺りにあった飴屋に、毎晩女の人が来て飴を買ってゆきます。怪しんだ主
人が後をつけたところ、立本寺の墓地で姿が消えました。寺の者と一緒に調べると、墓
の中から泣き声が聞こえるので、掘ってみると壺の中で赤子が母の死体の横で飴をし
ゃぶっていました。亡くなった妊婦から墓の中で赤子が生まれ、これを母が幽霊になっ
て育てていたというのです(同じような伝説が全国にあり、京都では六原の「子育て幽
霊」が有名です)。
この赤子は、後に日審上人(壺日審さま)という高僧になり、今も安産守護の上人様
として信仰されています。一方、飴屋は立本寺と一緒に千本中立売に移り「幽霊子育
飴」を売っていましたが、今はもうありません。しかし、立本寺に行けば、今でも「幽霊子
育飴」を買うことができます。
2004年10月
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