京極れきし再発見 13

  今出川通の東西貫通は昭和6年


今出川通(鴨川から東)の建設中の写真



 河原町今出川の交差点が現在の形になったのは、そう古い時代ではありません。明 治時代の出町には広い通りはなく、大正時代なって今出川通と河原町通が拡張されま す。ただし、今出川通は東側が河原町通で突き当たりになっていて、河原町今出川の 交差点はT字路でした。

 現在の今出川通は、いくつもの通りを繋げ合わせて作ったものです。本来の今出川 通は、河原町通から新町通までの短いものでした(上京区役所前から新町通の間には 拡張前の旧道が残っています)。そこで、大正時代の拡張の際に、西側が須磨町通 (小川通〜上七軒)に連結されました。

 昭和に入ると、今出川通の東への延長が始まります。まず、鴨川から百万遍まで、住 人を立ち退かせて道路(東今出川通・上の写真)を作り、百万遍で山中越につながれ ました。出町では河原町今出川の突き当たり(東側)にあった伏見宮邸が撤去されま す。そして、昭和6年に加茂大橋が完成して、ようやく今出川通は東西がつながりまし た。75年ほど前の話です。

2005年1月


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