御靈神社(上御霊神社)の御祭神は、「八所御霊」と呼ばれる8人の神様で、奈良時代
から平安時代の初めに、政争に敗れて非業の最期を遂げた方々です。しかし、分から
ないことがたくさんあります。
その1 上御霊神社と下御霊神社で、神様の顔ぶれが異なります
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御霊神社の御祭神の顔ぶれは、江戸時代から様々な説があります。上御霊神
社の御祭神は、最初に奈良から井上内親王(いのえないしんのう)と他戸親王
(おさべしんのう)の御霊を迎えたという由緒によります。下御霊神社の御祭神
は、貞観5年(863年)の最初の御霊会(御霊祭)で祀られた方々です(でも1人違
う)。
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その2 伊豫親王(いよしんのう)がいません
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藤原大夫人と伊豫親王は母子で、一緒に亡くなったのに、上御霊神社では、藤
原大夫人だけが祀られています
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その3 文屋宮田麻呂(ぶんやのみやたまろ)って何者
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御霊は有名人ばかりなのに、文屋宮田麻呂だけが無名の中級の貴族です。九
州に筑前守として赴任している際に、密貿易をしていたことが発覚し、その翌年、
謀反の疑いで罰せらたという、詳しい経歴など分からない謎の人物です。
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その4 火雷神の正体は
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火雷神は、六人の神様の荒ぶる魂が雷となったものとされていますが、昔の書
物には、いずれも菅原道真のことだと書いています。
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その5 吉備真備(きびのまきび)がなぜ入っているのか
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吉備真備は成功して大臣になった方で、なぜ御霊に入っているのか分かりませ
ん。日本の陰陽道の元祖と伝えられますから、その力を期待したのでしょうか。
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2005年4月
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