京極れきし再発見 15

  謎がいっぱい 御靈神社の御祭神
  


御霊神社楼門の随身(左)



御霊神社楼門の随身(右)

御靈神社(上御霊神社)の御祭神は、「八所御霊」と呼ばれる8人の神様で、奈良時代 から平安時代の初めに、政争に敗れて非業の最期を遂げた方々です。しかし、分から ないことがたくさんあります。
その1 上御霊神社と下御霊神社で、神様の顔ぶれが異なります
御霊神社の御祭神の顔ぶれは、江戸時代から様々な説があります。上御霊神 社の御祭神は、最初に奈良から井上内親王(いのえないしんのう)と他戸親王 (おさべしんのう)の御霊を迎えたという由緒によります。下御霊神社の御祭神 は、貞観5年(863年)の最初の御霊会(御霊祭)で祀られた方々です(でも1人違 う)。
その2 伊豫親王(いよしんのう)がいません
藤原大夫人と伊豫親王は母子で、一緒に亡くなったのに、上御霊神社では、藤 原大夫人だけが祀られています
その3 文屋宮田麻呂(ぶんやのみやたまろ)って何者
御霊は有名人ばかりなのに、文屋宮田麻呂だけが無名の中級の貴族です。九 州に筑前守として赴任している際に、密貿易をしていたことが発覚し、その翌年、 謀反の疑いで罰せらたという、詳しい経歴など分からない謎の人物です。
その4 火雷神の正体は
火雷神は、六人の神様の荒ぶる魂が雷となったものとされていますが、昔の書 物には、いずれも菅原道真のことだと書いています。
その5 吉備真備(きびのまきび)がなぜ入っているのか
吉備真備は成功して大臣になった方で、なぜ御霊に入っているのか分かりませ ん。日本の陰陽道の元祖と伝えられますから、その力を期待したのでしょうか。

2005年4月


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