御霊神社の神様に関して、前回紹介した他にも不思議な話しがあります(第二弾で
す)。
御霊神社の御祭神は、八所御霊と呼ばれる八柱(八人)の神様ですが、実は他に五
柱の神様が一緒に祀られています。それは三社明神(四柱)と和光明神(一柱)と呼ば
れる神様です。
江戸時代前期の霊元天皇は、小倉氏の女性(中納言典侍局)を愛し、その間に生ま
れた第一皇子を、次の天皇か又は新しい宮家にすると約束しました。それにもかかわ
らず、後に松木宗子に生まれた第五皇子(後の東山天皇)を皇太子とし、第一皇子を
無理やり出家させました。この時、第一皇子の外祖父である小倉実起が激しく抵抗し
たため、天皇は小倉実起とその息子二人を佐渡へ流しました。また、残された皇子の
生母も失意のまま病死します。三社明神(四柱)は、この流罪になった三人と御生母を
御霊として祀ったものです。第五皇子の母方の松木家(今の京極小学校の南隣)に祀
られてきました。
また、もう一柱の和光明神は、江戸後期に、皇女を産んですぐに母子供に亡くなった
東坊城和子という女性です。幽霊となって現れたと伝えられ、御所の中に祀られていま
した。
時代は下って明治十四年。明治天皇の子女が次々に早死にしたことから、東京遷都
で残された三社明神と和光明神が怒っていると心配する人々があり、御霊神社でお祀
りすることになりました。
2005年6月
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