京極れきし再発見 26
大原口 と 若狭街道(大原街道、敦賀街道、鯖街道)
出町柳から山端まで残る鯖街道(さばかいどう)
大正元年の地図でみる若狭街道
出町橋から高野川に沿って、田んぼの中を北に伸びる。
高野川堤防の通り(川端通)はまだなく、叡山電車も
ない。この街道の重要さが分かる。
なお、この頃の高野川は、かなり蛇行している。
御蔭橋近くの街道沿いの古い民家
大原口道標 鯖街道口碑
(寺町今出川) (出町橋西詰)
「大原口」は出町付近を指し、大原を越えて若狭に向かう若狭街道(大原街道、敦賀
街道、鯖街道などとも呼ばれます)の基点です。
現在、「大原口町」の町名が残るのは、寺町今出川の交差点付近で、大きな石の道
標が立っています。ただし、江戸後期には「大原口」よりも「今出川口」の呼び方が使わ
れたようです。江戸時代の地図の多くは、出町橋西詰(河原町桝形)に「今出川口」と
表示しています。
「大原口」から若狭に向かうには、この出町橋を渡ります(大正以前の出町橋は、出
町と出町柳を一本の長い橋で結んでいました)。当時の京都の市街地は出町までで、
橋の向こう(出町柳)は農村を抜けて街道が北に延びていました。若狭街道の旧道は、
現在でも出町柳から山端(平八茶屋前)までの間が残っています。出町柳からしばらく
高野川沿いを進み、御蔭橋(最初の橋)の北から右斜めに入ってゆく道が街道です。こ
の先の街道は、カナートの裏の道路となり、高野の古い集落を抜ける生活道路になっ
ています。
2006年7月
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