久邇宮家は、明治から昭和初期にかけて3代続いた宮家です。かつて、この久邇宮
家のお屋敷が荒神橋の北側にあり、その跡が「くに荘」という公共の宿になっていま
す。
久邇宮家の初代の朝彦親王(中川宮)は、幕末の朝廷の中心人物でしたが、幕府寄
りの立場だったことから、明治時代の一時期、広島に流罪となります。
久邇宮家2代目の邦彦王の時、その長女である良子女王が皇太子妃に内定しまし
た。しかし、女王の母方の問題を理由に反対運動が起こり、様々な政治家や皇族が久
邇宮家に辞退を迫りました。これに対し、宮家を推す勢力も色々な運動を行って対抗
し、良子女王を予定通り皇太子妃とすることができました。この良子女王が後の香淳
皇后(昭和天皇皇后)です。この事件は、宮中や政界の奥深くで、激しい駆け引きが行
われたことから「宮中某重大事件」と呼ばれました。事件の背景には、久邇宮家と薩長
出身の元勲たちとの、幕末以来の確執があったといわれます。
今の「くに荘」には、宮家の当時の建物はありませんが、庭の一部や木々が残ってい
ます。また、香淳皇后が少女時代に暮らした邸宅であったことから、正面にその歌碑
が立てられています。
鴨川のほとりにいでてながめやる 荒神橋はなつかしきかも
2006年9月
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