貴族の西園寺家は、琵琶の家元だったことから、琵琶を弾く姿の弁才天像を作り、屋
敷内の“妙音堂”にまつって来ました。この妙音堂は “白雲神社”と名前を変えて、京都
御苑の中の西園寺邸の跡に残っています。
一方、伏見宮家もまた西園寺流を伝える琵琶の家元であり、屋敷内に妙音堂を作っ
て弁才天をまつっていました。その後身が“出町妙音弁才天”です。その御本尊である
画像は、西園寺家の弁才天の姿を写したものと伝えられています(ですから、白雲神
社と出町妙音弁才天は姉妹なのです)。
西園寺家と伏見宮家の弁才天像は、邦楽研究者の間では、昔からその存在が知ら
れていましたが、姿は分からない謎の存在でした。しかし、近年、秘仏となっていた二
体の弁才天が相次いで開けられ、美しい姿を現しました。
西園寺家(白雲神社)の弁才天は、木造彫刻でした。菩薩の姿で、琵琶を弾く珍しい
形の弁才天(鎌倉時代作)で、平成14年に重要文化財に指定されました。
伏見宮家(出町妙音弁財天)の弁財天は画像で、平成13年に約100年ぶりに開け
られました。艶やか弁才天が岩の上に座って琵琶を奏でています。その裏には、伏見
宮家の初代栄仁親王の父である崇光天皇の書付があり、宮家に500年伝えられてき
た像であることが確認されました。
2006年11月
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