出町妙音弁財天のご本尊は、鎌倉時代に、西園寺家の姫(寧子)が後伏見天皇に輿
入れする際に持参した「弁財天画像」で、その子孫の伏見宮家に伝わったものです。今
回は、この画像の最初の持ち主である西園寺寧子のお話しです。
平安後期以後の朝廷は、天皇ではなく、天皇を辞めた後の上皇や法皇が政治(院
政)を行い、この実際に政権を担当する最高位の方を「治天の君」(ちてんのきみ)と呼
びました。
時代は下って南北朝時代、当時は北朝(京都・室町幕府方)と南朝(吉野)の二人の
天皇が並立していました。正平7年(1352)一時的に京都を制圧した南朝軍は、撤退
する際に、北朝の2人の上皇、退位させた天皇、皇太子を全員誘拐して、吉野に連れ
去りました。困った室町幕府は、出家していて無事だった皇子を新天皇(後光厳天皇)
に立てて、北朝を再開することを決めました。
しかし、上皇や前天皇が誘拐されて「治天の君」がおらず、天皇の指名が出来ませ
ん。そこで、新旧天皇の祖母で長老の広義門院(西園寺寧子 62歳)に、「治天の君」
として院政をしてもらうことにしました。
朝廷で女性が政権を担ったのは、奈良時代以来480年ぶり。また、皇族出身でない
方が朝廷の最高位に立った歴史上で唯一の例です。広義門院は、上皇や天皇を誘拐
された幕府の失態に怒っており、なだめすかして引き受けてもらったことが記録に残っ
ています。
2006年12月
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