京極小学校の門に突き当たる東西の通りを「石薬師通」といいます。この通りは、少
し北にずれて京極小学校の北側を通り、京都御苑に入り烏丸通に達します。また、京
極小学校の裏の京都御苑の門は、この通り建っていることから「石薬師御門」と呼ばれ
ます。
この石薬師通には、かつて名前の通り石の薬師如来(石仏)がまつられていました。
この石仏は、伝説によれば、平安京を開いた桓武天皇の時に、地中からは蓮華のつ
ぼみの形をした光を放つ石がみつかり、この石の一部を刻んだものとのことです。安
土桃山時代の正親町天皇は、宮中にまつられていた石仏を、真如堂(真正極楽寺)の
僧・全海に命じて、今の京極小学校の北側の位置に石薬師堂を造ってまつらせまし
た。ここで真如堂が出てくるのは、当時の真如堂が寺町今出川の南側にあったからで
す(真如堂前町、真如堂突抜町の町名があります)。
この石の薬師如来像が、現在も真如堂に伝えられています。真如堂が、元禄時代に
今の吉田山の東側に移転した際に一緒に移されたのです。現在は、真如堂の本堂の
左後ろに、石薬師堂という立派なお堂があって、そこにまつられています。
2007年4月
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