織田信長には、織田信広という少し年の離れた兄がいました。信広は側室の子供
で、織田家の跡継ぎにはなれませんでしたが、若い頃から父の信秀に従って戦場で活
躍してきた武将でした。信長もこの兄に敬意を払い、織田家の重臣として優遇しました
(ただし、テレビの大河ドラマなどでは、その存在が完全に無視されています)。
織田信長の墓があることで知られる寺町通の阿弥陀寺は、この織田信広ゆかりのお
寺でもあります。伝承によると、天文十一年(一五四二)信広が小豆坂の戦い(織田と
今川との戦闘)に向かう際、一人の妊婦が訪ねてきます。この妊婦は、父・織田信秀の
側室の1人でしたが、危険な状態でした。信広は、母親は助けられませんでしたが、な
んとか子供(要するに弟)だけを救い出しました。この子が後に僧侶となり、阿弥陀寺を
開いた清玉上人になったというのです(清玉上人は、本能寺から織田信長の遺骨を運
び出してお墓を作った方です)。
織田信広は、信長の天下取りの途上、長島一向一揆との戦いの中で戦死しました。
阿弥陀寺には、そのお墓があり(信長の墓の背後)、供養のために作られた肖像が本
堂にまつられています。
2007年7月
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