阿弥陀寺には、織田信長の墓と並んで、その嫡男である織田信忠の墓があります。
この織田信忠は、当時の重要人物でありながら、現在ではあまり知られていません。
織田信忠は、信長の正式の後継者であり、二十歳の時には信長から家督を譲られ
て、織田家の当主となっています。尾張国と美濃国を支配するとともに、武田氏に対す
る攻略をまかされ、自ら総大将となって出陣した武田征伐で武田氏を滅しました。
本能寺の変の際には、二条にあった妙覚寺に滞在していましたが、本能寺が既に明
智軍に落ちたことを知り、防御施設を持つ二条御所に立てこもりました。急襲を受けた
本能寺と違って、迎え撃った二条御所では激戦になりましたが、兵力の差が大きく、最
期は、信忠(この時、二六歳)が切腹して二条御所も焼け落ちました。
信忠の周囲には脱出を勧める家臣もいましたが、信忠は戦う道を選びました。しか
し、信長の弟の長益(有楽斎)などは京都脱出に成功しており、この時に信忠が脱出し
ていれば、織田政権がそのまま続いたといわれています。二条御所の織田方の戦死
者の遺骸も、本能寺の戦死者と一緒に阿弥陀寺に引き取られ、葬られました。
2007年8月
|