御霊祭は、現在は五月十八日に行われていますが、明治初期までは神輿が二回出
て、七月十八日(神幸祭)に神輿が神社から御旅所(廬山寺の南にあった)に行き、八
月十八日(還幸祭)に神社に戻りました。
幕末の文久三年(一八六三)の御霊祭では、七月の神幸祭は予定通り行われました
が、八月の還幸祭の当日の早朝、御所で薩摩藩や会津藩によるクーデター(八月十八
日の政変)が発生しました。御所は軍に取り囲まれ、祭は中止されましたが、神輿が御
旅所にいたままでは祭が終われません。一ケ月遅れの九月十八日に還幸祭が行わ
れ、いつものように参内して孝明天皇や皇太子(明治天皇)が御覧になりました。
翌年の元治元年(一八六四)の御霊祭では、七月の神幸祭で参内した翌日の七月十
九日に、蛤御門の変(長州藩軍が御所に攻撃を加えた)が起こり、発生した大火災で
丸太町より南の京都市内が焼け野原となりました。還幸祭は昨年に続いて延期となり
ましたが、九月四日に行われました。そして、この時も参内して天皇と皇太子が御覧に
なりました。
動乱の中でも、たくましく祭を行っており、当時の人々の信仰や、祭に対する思いの
強さがうかがえます。
2009年5月
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