御土居は、豊臣秀吉が京都の防衛のために築かせた土塁です。高さ約五メートル、
全長二十二キロに及ぶ土塁と堀で京都全体を囲みました。
この御土居は、市街地の鴨川沿いの部分は江戸時代に撤去されいましたが、その
他の部分は300年以上たった昭和初期まで大部分が残っていて、郊外の田んぼの中
を延々と土塁が続いていました。しかし、これらは戦後の開発でほとんどが失われ、現
在は、ほんの僅かに残った部分が、国の史跡に指定されています。(京極学区では廬
山寺の墓地に残った部分が史跡の指定を受けています)。
京極学区でも、昭和のはじめ頃まで御土居が残っていました。写真は、大正元年の
地図ですが、寺町通のお寺の裏に帯状に続く竹やぶが御土居です。同じ地図の鞍馬
口以北には、もっとはっきりと土塁が記載されています。地図から分かるように、出雲
路から出町に抜ける通り(出雲路神楽町)が、御土居の東辺(あるいは堀の跡)に当た
ります。
現在は全く跡形も残っていないのでしょうか。いいえ、一部は残っています。本満寺の
裏(墓地)の高くなっている部分が御土居の名残です。小さなお堂が立っている部分は
さらに高くなっています。
2009年6月
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