出町橋の脇に立つ「鯖街道口」の碑には、小さく「従是洛中」と書かれています。こ
れは、半ば洒落なのですが、江戸時代の本物の「是より洛中」の碑は、少し趣が異なり
ます。
江戸時代の京都では、毎日、周辺の村々からたくさんの人々が馬で荷物を運んで来
ました。しかし、市街地(洛中)では、危険防止のために、人が馬に乗って進むことが禁
止されており、綱を引いて歩かなければいけませんでした。現在、桝形アーケードなど
で、自転車やバイクを引いて歩かなければいけないのと似ていますね。
洛中での乗馬禁止を徹底するため、江戸時代には京都の入口三十ヶ所に、「是より
洛中 荷馬口付のもの乗べからす」と書かれた碑(是より洛中碑)が立てられていまし
た。上京区には、この石碑がたくさん残っているのですが、いずれも本来の場所から移
転されています。現在、室町小学校に四本、仁和小学校に三本、翔鸞小学校と水火天
満宮(堀川上御霊前)に一本ずつ残っています。
京極学区とその周辺には、大原口(出町)、鞍馬口、荒神口と三つも口があるので、
一本ぐらいあっても良さそうなのですが、残念ながら学区内には残っていません。少なく
とも、鞍馬口のものは、室町小学校にある四本のどれかではないでしょうか
2009年7月
|