京極れきし再発見 57


  どこにいった 出町の「是より洛中碑」


室町小学校の正門に立つ
4本の「是より洛中碑」 

 
  出町橋の脇に立つ「鯖街道口」の碑には、小さく「従是洛中」と書かれています。こ れは、半ば洒落なのですが、江戸時代の本物の「是より洛中」の碑は、少し趣が異なり ます。

 江戸時代の京都では、毎日、周辺の村々からたくさんの人々が馬で荷物を運んで来 ました。しかし、市街地(洛中)では、危険防止のために、人が馬に乗って進むことが禁 止されており、綱を引いて歩かなければいけませんでした。現在、桝形アーケードなど で、自転車やバイクを引いて歩かなければいけないのと似ていますね。

 洛中での乗馬禁止を徹底するため、江戸時代には京都の入口三十ヶ所に、「是より 洛中 荷馬口付のもの乗べからす」と書かれた碑(是より洛中碑)が立てられていまし た。上京区には、この石碑がたくさん残っているのですが、いずれも本来の場所から移 転されています。現在、室町小学校に四本、仁和小学校に三本、翔鸞小学校と水火天 満宮(堀川上御霊前)に一本ずつ残っています。

 京極学区とその周辺には、大原口(出町)、鞍馬口、荒神口と三つも口があるので、 一本ぐらいあっても良さそうなのですが、残念ながら学区内には残っていません。少なく とも、鞍馬口のものは、室町小学校にある四本のどれかではないでしょうか
2009年7月


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