京極れきし再発見 58

  千四百年前の京極学区に【竪穴式住居】の村があった



奈良時代の村の想像図
(週間朝日百科 日本の歴史50より)


復元された竪穴式住居:長野県塩尻市
(週間朝日百科 日本の歴史51より)
 
 平安京ができる前(飛鳥時代、奈良時代)、京極学区を中心とする一帯は出雲郷と呼ばれ、出雲氏が住んでいました。出雲氏は、出雲国から移住して来た氏族で、出雲大社と関係があったと考えられています。しかし、断片的な記録しかなく、その実態は謎に包まれています。ただ、出雲路の地名、上御霊神社(出雲寺の後身)、出雲路幸神社などが存在することから、京極学区の辺りが出雲郷の中心だったことは間違いがありません。

 二〇〇四年に、相国寺の承天閣美術館の増築の際に行われた発掘調査では、この出雲郷の遺跡を求めて奈良時代以前の地層まで、深く発掘が進められました。上層では江戸時代のお寺の跡が発掘されましたが、さらに掘り進めた結果、飛鳥時代の竪穴式住居の跡が、二十棟分発掘されました。住居は密集していて、何度か立て替えられており、これは大きな集落の一部であると推定されています。京都市の中心部で、飛鳥時代の集落が発見されたのは初めてです。当時は、塔之段から御霊神社にかけての一帯に、写真のような竪穴式住居の村が広がっていたものと思われます。

2009年8月


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