現代の疫病・新型インフルエンザは、あっという間に日本全国に広がりました。しか
し、交通が発達していない時代の伝染病は、村から村へと順々に伝わって行きました。
特に疱瘡(天然痘)は恐れられ、人々は「疱瘡神」あるいは「瘡神(くさがみ)」がやって
来て、病気を起こすのだと考えました。そこで、江戸時代の人々は町や村の入口に疱
瘡神をまつって、中に入ってこないようにお願いをしました。
末菊大神(末菊稲荷大明神)も「瘡神」と伝えられており、そのような神様の一つで
す。神社が建つ場所は京都の北の入口・鞍馬口に近い、御土居の外縁にあたり、都に
疱瘡が侵入しないように守っています(このあたりには、昭和の始めまで御土居が残っ
ていました)。
末菊大神の鳥居には江戸時代の天保11年(1840)の年号が入っています。天保年
間には関西で疱瘡の流行があったので、その時にまつられたのかもしれません。とこ
ろが、今回の修理の際に、その27年後の慶応3年(1867)に伏見稲荷大社から稲荷
神を迎えたことを示す証書が出てきました。神社ができたずっと後に、神様を迎えると
はどういうことでしょうか。
おそらく、末菊大神は、町の人々が私的に建立した神社だったのです。しかし、幕末
明治の動乱の中で神社を守るために、公認の神社にすることが必要だと考え、改めて
伏見稲荷から神様を迎えたものと思われます。ただし、実際に稲荷神としておまつりし
た痕跡はなく、狐なども置かれていません。
末菊大神は、天保から170年間、このような代々の町の人々に支えられて伝えられ
てきました。
2009年12月
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