京極小学校の校章といえば、桜のマークに「極」の字が入ったものですが、最初から
この校章が用いられていたわけではありません。
最初の校章は、三角が二つ重なったシンプルなものでした(図の右)。京極小学校
は、明治2年(1869)に、上京二十七番組と二十八番組の2つの町組の人々が、資金
を集め、共同で作った小学校です。後に番号が変わって、十一組と十二組になったの
ですが、この校章はこの時期にできたものです。十一と十二を三角形で表現し、2つの
町組を現しています。
2番目の校章(図の真ん中)は、京都市の市章(京の字を図案化したもの)の中に、
「極」の字が入っています。大正時代に用いられた校旗に描かれていまいした。
そして、現在のもの(図の左)は、これを桜の花の中に入れたものです。よく見ると、
京都市の市章もちゃんと入っています。この校章は、今からちょうど百年前の明治42
年(1909)に、四方福蔵という先生が考案したものです。この時から帽子にはこの校
章がついていたそうですから、2番目のものとは前後の関係ではなく、平行して使われ
ていたようです。昭和4年からは、校旗にもこの校章が使われるようになりました。
2010年1月
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