京極れきし再発見 68

  洛北の生活を支えた農業用水「砂川(太田川)」



出町柳の砂川(太田川)河口

激しく流れる大雨時の太田川

 出町柳の河合橋の南に、高野川に小さな川が流れ込む河口(排水口)があります。こ れは「砂川」の河口です。この川は、かつて田中村、一乗寺村などの生活を支えた重 要な農業用水で、江戸時代には、たびたび村同志の水争いの原因になりました。な お、砂川の上流の方は太田川と呼ばれていて、河口にも太田川の表示があります。

 この用水は、叡電「三宅八幡」駅の近くの太田井堰で高野川から取水され、以前は四 つの村を抜けて、出町柳で鴨川に合流していました。かなり上流の三宅八幡で取水し ているのは、対岸の松ヶ崎村・下鴨村より先に水を取るためです。松ヶ崎村・下鴨村は 山端橋(子供の楽園前)で取水しており、昔から水不足のたびに両岸で争ってきまし た。江戸の訴訟の記録が、周辺の村にたくさん残っています。これらの村は、昭和初期 までは一面の田んぼで、農業用水が生命線だったのです。

 なお、太田川の上流の方は農業用水として健在ですが、今は一乗寺で疎水に合流し てしまい、下流の川はありません。出町柳に残っている河口にも、水は流れていませ ん。ただし、地下には川が残っていて、臨時の排水路に使われているらしく、大雨の時 だけ水が流れます。また、この河口は昭和七年に作られた新しい河口で、本来の砂川 の河口もケーヨーデイツー(旧ニック)の前に残っています。

2010年7月


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