京極れきし再発見 69

  岡山県にある元祖・鶴山公園は大きい







 鶴山町は、1町だけで京極学区の面積の1/10ぐらいを占める、大きな町です。そ の北部にある鶴山児童公園は、京極の子ども達の定番の遊び場となっています。

 岡山県の北部は、江戸時代以前の旧国名を美作国(みまさかのくに)といいます。美 作国は、山に囲まれた国で、その中心の町は津山です(今の岡山県津山市)。津山 は、江戸時代には福井藩の分家の松平家(十万石)の城下町でした。

 さて、この津山藩の京都屋敷が、かつて寺町通の北の方、京都新聞販売店の辺りに ありました。一方、寺町通の東側(本満寺より北)は、江戸時代にはお寺ばかりなので 正式の町名がありませんでした。明治維新の際、ここに町名をつけることになり、数少 ない住人である津山藩に相談したらしいのです。その時、津山藩の家老が「津山のお 城は鶴山城と呼ばれているので、その名にあやかると良い」と言ったとかで、明治二年 に新町名が(ぜんぜん関係ない)津山城の別名を取って「鶴山町」に決まりました。

 一方、本家の鶴山城は、まもなく藩が廃止されて取り壊されます。その城跡には、後 にたくさんの桜が植えられて「鶴山公園」(かくざんこうえん)と名づけられました。今回 は、この津山の鶴山公園を取材してきました。建物はほとんどありませんが、山を大き な石垣が何重にも取り囲んでいて、当時のお城の威容がうかがえました。なるほど、ご 家老様が自慢するのも分かります。当方の鶴山児童公園と比べると元祖・鶴山公園は たいへん大きな公園でした。

2010年8月


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