寺町通の光明寺(鶴山公園から南へ2軒目)の御本尊は、宇都宮頼綱が感得した「抱
留めの弥陀仏」です。でも宇都宮頼綱ってだれ?
宇都宮頼綱は、その名の通り宇都宮を本拠地とする関東武士で、源頼朝の下で活
躍しました。しかし後に、北条氏から謀反の疑いをかけられ、身の潔白を示すために出
家して、嵯峨の小倉山に移り住みました。その後は、浄土宗の僧として、また歌人とし
て、八十八歳まで生きました。頼綱は、藤原定家と親しく、小倉山荘の襖に飾るため
に、定家に百枚の歌の色紙を作ってもらいました。これが、小倉百人一首になったと伝
えられています。
さて、仁治二年(一二四一)十一月二十二日、頼綱の夢の中で、空中に阿弥陀如来
が現れ、どこから来られたのかとたずねると、善光寺と答えられました。ここで、目がさ
めると、そこにも阿弥陀如来がおられ、静かに手を引っ張って自分の袈裟にくるんだの
が、光明寺にまつられている阿弥陀如来像だと伝えられています。この伝説から「抱留
めの弥陀仏」と呼ばれます。元々は、金色に輝いていたと思われますが、今は真っ黒
です。何度も火災にあっているのに無事だったことから、無病息災のご利益があると信
仰されています。
2010年9月
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