15代将軍徳川慶喜は、慶応3年(1867)10月14日に、土佐藩の提案を受け入れ
て、大政奉還(天皇に政権を返上する)を発表します。大河ドラマ「龍馬伝」では、坂本
龍馬の説得で、身分の差がない国を作るために大政奉還が行われたことになっていま
したが、現実はもっとナマナマしいものです。実際には、大政奉還の後、天皇の下に、
徳川慶喜を中心とする新政府を作る計画で、有力大名も、主要な公家もこれを支持し
ていました。
これに対し、徳川から実権を奪い取ろうと、薩摩藩の大久保利通や公家の岩倉具視
が起こしたのが「王政復古のクーデター」です。12月9日、薩摩藩や土佐藩が御所を
封鎖して、明治天皇の名前で新政権を発足させ、政権メンバーをきめてしまいました。
薩摩藩と下級の公家が結んで、勝手に自分たちを中心とする政権を作ったのですか
ら、かなり無茶苦茶です。
ところで、クーデターの首謀者である大久保利通が、この当時住んでいたのが、京極
小学校の正門前を100メートルほど東に入った所で、「大久保利通旧邸」の石碑が建
っています。ここは討幕派の作戦基地の一つで、様々な秘密会議が行われた場所で
す。クーデターの3日前の12月6日にも、ここで作戦会議が開かれました。この大久保
邸跡には、現在も当時の茶室(有待庵)が残されていますが、150年前の建物で痛み
がひどく、維持が難しい状態とのです。
2010年12月
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