京極れきし再発見 75

  嵐のように去っていった谷崎潤一郎一家
  鶴山町の旧中塚邸

  




 鶴山町(北鶴山町)の寺町通沿いに、作家・谷崎潤一郎が住んだ家が、ほぼ当時の ままの姿で残っています。その家は、京都新聞販売店の道路を挟んで南側の吉村邸 (当時は中塚家)です。

 谷崎潤一郎は、東京の人でしたが関東大震災の後に関西に移り住み、神戸や大阪 で暮らします(かなりの引越し好きで、頻繁に転居します)。そして、終戦で岡山の疎開 先から戻ってきた際に、大好きな京都に住む決心をします(当時59才)。
 一旦は、銀閣寺道の民家に間借りしますが、ここは狭すぎたため改めて借りたのが 鶴山町の中塚家の二階でした。一階には大家のご隠居(中塚せい)さんがいたのです が、一人住まいで、「一階もどうぞ使ふとくれやす」と言ってくれた事から、谷崎潤一郎 は妻の松子とお手伝いさんなどを呼び寄せ、そこに松子の妹夫婦が転がり込みました (計7名?)。その結果、大家さんは一部屋を使うだけで、ほとんど谷崎一家が占拠す ることになりました。

 ただし、谷崎潤一郎が中塚家にいた期間は、昭和21年5月から6ヶ月間だけです。  11月には南禅寺近くに一戸建てを買い、中塚家に妹夫婦を残して出て行きました。中 塚家から見れば、嵐のように通り過ぎていった感じだったと思われます。

 なお、この時期、谷崎潤一郎は「細雪」の執筆中であり、鶴山町の中塚家でもその執 筆を行っていたものと思われます。

2011年2月


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