出町こだわりガイド
出町観光ページ独自の視点で、見どころを紹介します
廬山寺
ろざんじ
廬山天台講寺
圓浄宗(天台宗系)
慶光天皇陵参道
廬山寺を巡る人物とその物語
1.元三大師と鬼
このお寺は、平安時代中期の比叡山の高僧である良源
(慈恵大師)によって創建されました。良源は、1月3日
に生まれたことから、元三大師(がんさんだいし)の別名
があり、厄を払ってくれる大師様として、広く信仰されて
います。
元三大師は、鬼に姿を変えて厄神をはらったとか、元
三大師は美男子で宮中の女官が騒ぐため、鬼に姿を
変えていさめたと伝えられています。
元三大師堂
廬山寺に入って正面のお堂で、元三大師をおまつり
しています。このお堂のご本尊である元三大師像は、
鬼の姿にをした小さな木造です。この像は秘仏で、2月
3日の鬼法楽の際に開帳されます。
(参拝自由)
※ 鬼の元三大師像は、廬山寺の公式ホームページ
に写真が載っています)
角大師(つのだいし)の護符
鬼の姿に変じた元三大師を描いたお札で、家の玄関に
貼っておくと、災いがはらえると信仰されています。
(お寺の拝観受付で売られています)
鬼の法楽(2月3日)
節分に当寺で行われる行事です。赤青黒の3匹の鬼が
舞台の上で暴れまわり、護摩、追儺師の法弓、蓬莱師
による、豆まきで追われる様子を演じます。
角大師の護符
2.紫式部と大弐三位
このあたりには、紫式部のひい爺さんの、堤中納言が
建てた屋敷がありました。紫式部はここで育ち、後には
ここで一人娘を産んだといわれています。
ここが、紫式部が暮らした屋敷跡にあたることは、歴史
学者 角田文衛博士が考証し、昭和41年に発表されま
した。
源氏の庭
この地が、紫式部の屋敷跡に当たることにちなんで、
源氏の庭と名づけられています。桔梗の花の名所とし
て知られています。
(拝観料が必要)
紫式部の歌碑
紫式部と、娘である大弐三位(だいにさんみ)の歌が
刻まれています。玄関(拝観入口)前にあります。
(拝観自由)
源氏の庭
3.和泉式部と東北院
平安時代、この付近に、一条天皇皇后の藤原彰子の
願いで建てられた東北院というお寺がありました。
和泉式部は、晩年この寺の住んだと伝えられ、謡曲
(能)の「東北」は、東北院を舞台とします。旅の僧の前
に現れた和泉式部の霊が、昔を語る様子を演じます。
雲水の井(雲井の水)
井戸は自然石を積み上げて作ったもので、東北院に
あった井戸と伝えらていますが、水は枯れています。
入口に顔が風化した鎌倉時代の石仏があります。
(参拝自由 拝観コース外のお寺の裏にあります
慶光天皇陵の前にあり、看板などはありません)
※なお、東北院創建と紫式部は同時代であり、紫式
部の邸宅と東北院は向かい合っていたと記録にあり
ます。東北院は、実際にはもう少し南にあったもの
と思われます
。
雲水の井の石仏
4.豊臣秀吉と御土居(おどい)
京都の町は豊臣秀吉によって大きく改造されました。
豊臣秀吉は、京都を高さ5メートル以上の土塁で囲み
ました。それを、御土居と呼びます。御土居は、昭和
の初めまでかなりの部分が残っていましたが、今は
ほとんど残っておらず、わずかに残っているものが
史跡になっています。
御土居
廬山寺の墓地に、御土居が残っています。本来はこ
の倍以上の高さがありました。真ん中のお墓があると
ころから、上に登ることができます。
(参拝自由 拝観コース外のお寺の裏にあります)
御土居
5.慶光天皇と尊号事件
江戸時代後期に、天皇家の本家の血筋が絶えたため、
閑院宮家から猶子が向かえられ光格天皇となりました。
天皇の実父である閑院宮2代目 典仁親王(すけひと
しんのう)は、身分が高くなかったため、天皇は特別に
太上天皇(天皇を辞めた方がつく位)にしようと考えま
した。ところが、幕府の老中である松平定信が反対し、
さらに公家の中で運動が盛り上がると関係者を処罰
しました。これを「尊号事件」と言います。
典仁親王には、没後の明治時代に慶光天(きょうごう
てんのう)の名が贈られました。
慶光天皇陵
ここには、閑院宮家の歴代及びその家族が葬られて
います。典仁親王のお墓は、親王に天皇号が贈られ
たため、正式の天皇陵になりました。
(参拝自由 拝観コース外のお寺の裏にあります)
慶光天皇陵
廬山寺 公式ホームページへ
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