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経蔵とは、一切経(全てのお経が一揃いになったもの)を納める
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建物です。現在の経蔵は、幕末の万延元年(1860)年に建てら
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れたもので、桂昌院から寄進されたの一切経を納めています。
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かつては烏丸通の方に立派な神社があって、御所八幡町の
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町名が残っています。今の八幡神社は、法堂の横にあり、
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相国寺の三門は、火災で焼失する度に4回まで再建されてき
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ましたが、江戸中期の天明の大火の後は再建されず、礎石を
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足利義満は、東寺の五重塔の2培以上の高さのある、巨大な
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七重塔を建てましたが、落雷で焼失しました。江戸初期に
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後水尾天皇が三重塔を建て、その柱に自分の歯と髪を納めら
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れました。その跡が後水尾天皇髪歯塚となっています。
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今の鐘楼は、天保14年(1843)に再建された立派な建物で、
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軒下の木組が見事です。夕刻には、内部から明かりが漏れ、
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石橋は、御所との境を表す意味で天界橋と名づけられたといい
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ます。戦国時代の天文20年(1551)、この橋を挟んで細川氏
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と三好氏の合戦(石橋の戦)があり、お寺が全焼しました。
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かつて今出川という川があり、その一部です。開山塔庭園は
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通常非公開ですが、今出川の跡は、鐘楼の横から総門に向
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当初は、僧侶達の修行の場を指したそうですが、後には境内の
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森を指すようになったとのことです。現在は、北門町にある研修
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相国寺の表門で、京都御苑の今出川御門と向かい合っていま
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す。禅宗寺院では、仏殿(本堂)の正面の門(勅使門)は閉ざし、
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