寺町通の古社寺 参拝ガイド


阿弥陀寺

織田信長・信忠・信孝墓
織田信長像

蓮台山 阿弥陀寺    浄土宗

 戦国時代に、清玉上人が坂本(今は大津市)に創建しました。後に、織田信長
の支援を受けて、京都西陣に移転しました。清玉上人は、本能寺の変の知らせ
を聞いて現地に駆けつけ、その場で信長の遺体を火葬して、骨を持ち帰り、お墓
を作ったと伝えられています。


織田信長墓
織田信忠墓
織田信孝墓
織田信長の墓は、全国にたくさんありますが、遺骨
が埋葬されているのは、このお墓だけです。
織田信忠は、信長の長男で、本能寺の変の際、二
条御殿に立てこもって戦い、自決しました。
織田信孝の墓標が、信長のお墓の右の1段下った
ところにあります。信孝は信長の3男で、柴田勝家と
組んで羽柴秀吉と争って敗れ、切腹させられました。
(参拝可能)
 ※お墓へは、寺務所に断ってからお参り下さい)

森三兄弟の墓 信長の小姓で、本能寺の変で戦死した、森蘭丸、
力丸、坊丸の3兄弟のお墓。阿弥陀寺には、本能寺
の変の織田方の死者全員が葬られました。
(参拝可能)
 ※お墓へは、寺務所に断ってからお参り下さい)

織田信長像
織田信忠像
織田信広像
本堂の脇陣に、3体並んでまつられています。
織田信広は信長の兄で、歴史上で無名の人物です
が、信長はこの人に敬意を払っていました。清玉上人
は、この信広に育てられたと伝えられています
(6月2日信長忌の際に公開)

芭蕉の句碑
蝶夢の句碑
江戸時代中期に、当寺の子院の住職だった蝶夢
(五升庵蝶夢)は、松尾芭蕉を慕い、その句集の出版
や遺跡の復興を行いました。本堂の向かって左側に、
2人の句碑があります。
(拝観自由)

信長忌(6月2日)

織田信長の命日の法要が行われ、織田信長・信忠像、
清玉上人像、信長の遺品などが公開されます。



観光寺院ではありません。マナーを守って参拝下さい。
拝観料などはありませんが、気持ちを、お賽銭として
お供えされると良いでしょう。





寺町通の古社寺めぐりに戻る